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Suh Kyunsik discussing Jews and Palestinians : Korean Diaspora and the Quest for a “New Universality”
在日朝鮮人の批評家である徐京植は,民族的マイノリティとして差別を受ける苦 悩と,冷戦と独裁の下で兄二人が政治犯として投獄されている苦悩とを,西洋美術と いう「窓」を通して人間の普遍的な課題へと繋げることができた。これは徐のライフ ワークとなる人文紀行として知られている。他方で徐は,人種差別や植民地主義に抵 抗しながら,ディアスポラにある朝鮮人アイデンティティを肯定するために,ヨー ロッパでホロコーストを経験したユダヤ人の作家やイスラエルに故郷を奪われたパ レスチナ難民の作家の作品を早くから参照していた。このこともまた,在日朝鮮人の 時代経験が世界大の帝国主義の歴史の中に位置づけることが可能であり,普遍性を持 つということを示そうという試みであった。かつてはヨーロッパ世界が普遍性を僭 称し独占していたが,徐は東アジアの在日朝鮮人の経験をヨーロッパ文化史やユダヤ 人とパレスチナ人の文学という「窓」を通して再考することで,「新しい普遍」を創出し ようとしてきた。