H. Nishioka
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A review of my research on environmental mutagens
私は京都大学医学部薬学科(現薬学部)を卒業し(1957 年),大阪市立衛生研究所(現大阪市環境科学研究所)に 就職した.細菌学の研究室に配属され,ここでバクテリ アやウイルスなどの細菌学の技術を身につけた.当時, 細菌の形質転換,形質導入,接合などのメカニズムや DNAの分子構造の解明など,分子生物学と呼ばれたこ の分野は目覚しい展開をみせ,私は興味を駆り立てられ た.当時の私の研究テーマは,抗生物質などに対する細 菌の耐性獲得のメカニズムであったが,このとき,微生 物の突然変異の研究に魅せられ,これが私の一生のテー マになった. 1961年,東京工業大学原子炉工学研究所に助手とし て転職し,各種放射線による大腸菌の突然変異誘導メカ ニズムの研究を開始した.機会を得て,1967年から 1972年まで米国に留学し,当時,紫外線による突然変 異研究で,目覚しい業績を上げていたC. ダウドニー博 士(A. アインシュタイン研究所)やW. ハーム教授(テキ サス大学)らの研究室で,主として紫外線による大腸菌 の突然変異誘導のメカニズムを研究した. 当時,紫外線(UVC)によるDNAの主要な損傷は,ピ リミジンダイマーであること,これらの損傷はいくつか のメカニズムで修復されること,修復は正確なものと, 不正確なものがあって,不正確な修復によっても突然変 異が誘導されることがあることがわかっていた.これら のメカニズム研究は謎解きともいえるもので,私はその 面白さに没頭した. 1973年,帰国して同志社大学に赴任し,工学部教授 として,生化学の研究と教育に携わることになった.私 立大学なので,卒業論文作成のために,毎年,多数の学 生が私の研究室に配属され,卒論生の数だけ研究テーマ を必要とした.当時,環境問題が社会的関心事となり始 めた頃であり,化学系の学生に,環境変異原を研究させ るのは都合のよいことであった.この頃に設立された, 日本環境変異原研究会(現日本環境変異原学会)は,私た ちの研究を発表するいい機会となった. 第 4回日本環境変異原研究会(京都,1975年)は,私が 勤務する同志社大学で行われた.この当時,変異原とい う言葉は社会には全く知られていなかったが,ある事件 のために,変異原がマスコミを通じて,一般に広まるこ とになった.当時,食品添加物としてわが国だけが採用 していた殺菌剤AF2(フリルフラマイド)に強い変異原性 が発見され,これがマスコミに報道され,社会は一挙に