{"title":"日本传统技术中的惊人技术","authors":"Kazuyoshi Suzuki","doi":"10.1380/JSSSJ.38.578","DOIUrl":null,"url":null,"abstract":"明治初期,御雇い外人 G. ワグネルが政府に提出した 『工業の方針(原書房,明治百年史叢書第 249 巻, 1976)』には,「日本の工業を外国の競争に対して拒かん と欲せば日本固有の味わいと其美術心とを永久に保存し 日本人民をして決して之を忘れしむべからず」と,第一 に日本人の育んできた美意識や文化を大事にすべきこと を説いている。ワグネルは,東京大学理学部や東京職工 学校(東京工業大学)などの教師として我が国の工学教 育に貢献したほか,佐賀県有田町で窯業の技術指導を行 うなど,陶磁器やガラス産業の近代化にも尽力した。ま た 1873年のウィーン万国博覧会に際して出品物の指導 を依頼され,日本の伝統工芸品についても深い知見を持 っていた。それ故,日本の伝統工芸や職人技術の素晴ら しさを実感しており,前述の提言に繋がったのである。 大正時代に,再び伝統工芸および技術を残そうと尽力さ れた柳宗悦は,その素晴らしさを「民芸」と呼び,日本 独自のものとされたが,それは如何に生まれたものであ ろうか。 近代以前の江戸時代,幕府は基本的に諸藩の上に君臨 しつつも,過度な支配・干渉は行わなかった。世界的に 希有な平和が維持される中で,日本の各地域は,幕府に よって封ぜられた藩により自主的に統治されていた。諸 藩は,それぞれの地域を繁栄させるために,身分の上下 を問わず勤勉や勤労を勧め,江戸中期以降には藩校や寺 子屋が日本各地に作られ,文化,文政期(1804~1829) には農村や漁村にまで広がった。その結果,日本のこと わざにある「読み書き算用は世渡りの三芸」が庶民にと っても当たり前となり,身分の上下を問わず知識や技術 が共有されたのである。日本各地で地域の学問や文化, 産業の育成を競い合った結果,「民芸」と呼ぶ地域ごと に微妙に異なる文化や美意識が生まれ,その切磋琢磨の 中に創造と革新が途切れることなく行われ,世界的な評 価を受けた「伊万里焼」や「漆器(japan)」のような素 晴らしい工芸品も生まれたのである。特に日本の漆製品 は,英語で「japan」と呼ばれるほど,高い評価を得て いる。江戸時代を通じて蒔絵(まきえ)や螺鈿(らで ん)細工などの技法を用いた,優れた漆器が製作されヨ ーロッパへ輸出されたからである。ヨーロッパの人々 は,漆の独特の深みと光沢をもつ黒に憧れ,ピアノが他 の楽器と違い黒く塗られたのも漆器の影響だという。さ らに漆は,日本で接着剤としても積極的に利用されてき た。割れた陶磁器の接着には,「金継ぎ」と呼ぶ技法が 用いられる。割れた器を,独特の美意識で,価値を損な わずに再生する文化は日本独自のものであり,さらに漆 を接着剤に使えば「食器」としての機能も失われないの である。ワグネルがいうように,技術そのもの以外に, その根底にある「もったいない」や「わび」「さび」な どの自然との共生といった日本の文化や精神についても 学ぶべきものは多いと思う。","PeriodicalId":13075,"journal":{"name":"Hyomen Kagaku","volume":"18 1","pages":"578-580"},"PeriodicalIF":0.0000,"publicationDate":"2017-01-01","publicationTypes":"Journal Article","fieldsOfStudy":null,"isOpenAccess":false,"openAccessPdf":"","citationCount":"0","resultStr":"{\"title\":\"An Amazing Technique See in Japanese Traditional Technology\",\"authors\":\"Kazuyoshi Suzuki\",\"doi\":\"10.1380/JSSSJ.38.578\",\"DOIUrl\":null,\"url\":null,\"abstract\":\"明治初期,御雇い外人 G. ワグネルが政府に提出した 『工業の方針(原書房,明治百年史叢書第 249 巻, 1976)』には,「日本の工業を外国の競争に対して拒かん と欲せば日本固有の味わいと其美術心とを永久に保存し 日本人民をして決して之を忘れしむべからず」と,第一 に日本人の育んできた美意識や文化を大事にすべきこと を説いている。ワグネルは,東京大学理学部や東京職工 学校(東京工業大学)などの教師として我が国の工学教 育に貢献したほか,佐賀県有田町で窯業の技術指導を行 うなど,陶磁器やガラス産業の近代化にも尽力した。ま た 1873年のウィーン万国博覧会に際して出品物の指導 を依頼され,日本の伝統工芸品についても深い知見を持 っていた。それ故,日本の伝統工芸や職人技術の素晴ら しさを実感しており,前述の提言に繋がったのである。 大正時代に,再び伝統工芸および技術を残そうと尽力さ れた柳宗悦は,その素晴らしさを「民芸」と呼び,日本 独自のものとされたが,それは如何に生まれたものであ ろうか。 近代以前の江戸時代,幕府は基本的に諸藩の上に君臨 しつつも,過度な支配・干渉は行わなかった。世界的に 希有な平和が維持される中で,日本の各地域は,幕府に よって封ぜられた藩により自主的に統治されていた。諸 藩は,それぞれの地域を繁栄させるために,身分の上下 を問わず勤勉や勤労を勧め,江戸中期以降には藩校や寺 子屋が日本各地に作られ,文化,文政期(1804~1829) には農村や漁村にまで広がった。その結果,日本のこと わざにある「読み書き算用は世渡りの三芸」が庶民にと っても当たり前となり,身分の上下を問わず知識や技術 が共有されたのである。日本各地で地域の学問や文化, 産業の育成を競い合った結果,「民芸」と呼ぶ地域ごと に微妙に異なる文化や美意識が生まれ,その切磋琢磨の 中に創造と革新が途切れることなく行われ,世界的な評 価を受けた「伊万里焼」や「漆器(japan)」のような素 晴らしい工芸品も生まれたのである。特に日本の漆製品 は,英語で「japan」と呼ばれるほど,高い評価を得て いる。江戸時代を通じて蒔絵(まきえ)や螺鈿(らで ん)細工などの技法を用いた,優れた漆器が製作されヨ ーロッパへ輸出されたからである。ヨーロッパの人々 は,漆の独特の深みと光沢をもつ黒に憧れ,ピアノが他 の楽器と違い黒く塗られたのも漆器の影響だという。さ らに漆は,日本で接着剤としても積極的に利用されてき た。割れた陶磁器の接着には,「金継ぎ」と呼ぶ技法が 用いられる。割れた器を,独特の美意識で,価値を損な わずに再生する文化は日本独自のものであり,さらに漆 を接着剤に使えば「食器」としての機能も失われないの である。ワグネルがいうように,技術そのもの以外に, その根底にある「もったいない」や「わび」「さび」な どの自然との共生といった日本の文化や精神についても 学ぶべきものは多いと思う。\",\"PeriodicalId\":13075,\"journal\":{\"name\":\"Hyomen Kagaku\",\"volume\":\"18 1\",\"pages\":\"578-580\"},\"PeriodicalIF\":0.0000,\"publicationDate\":\"2017-01-01\",\"publicationTypes\":\"Journal Article\",\"fieldsOfStudy\":null,\"isOpenAccess\":false,\"openAccessPdf\":\"\",\"citationCount\":\"0\",\"resultStr\":null,\"platform\":\"Semanticscholar\",\"paperid\":null,\"PeriodicalName\":\"Hyomen Kagaku\",\"FirstCategoryId\":\"1085\",\"ListUrlMain\":\"https://doi.org/10.1380/JSSSJ.38.578\",\"RegionNum\":0,\"RegionCategory\":null,\"ArticlePicture\":[],\"TitleCN\":null,\"AbstractTextCN\":null,\"PMCID\":null,\"EPubDate\":\"\",\"PubModel\":\"\",\"JCR\":\"\",\"JCRName\":\"\",\"Score\":null,\"Total\":0}","platform":"Semanticscholar","paperid":null,"PeriodicalName":"Hyomen Kagaku","FirstCategoryId":"1085","ListUrlMain":"https://doi.org/10.1380/JSSSJ.38.578","RegionNum":0,"RegionCategory":null,"ArticlePicture":[],"TitleCN":null,"AbstractTextCN":null,"PMCID":null,"EPubDate":"","PubModel":"","JCR":"","JCRName":"","Score":null,"Total":0}
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An Amazing Technique See in Japanese Traditional Technology
明治初期,御雇い外人 G. ワグネルが政府に提出した 『工業の方針(原書房,明治百年史叢書第 249 巻, 1976)』には,「日本の工業を外国の競争に対して拒かん と欲せば日本固有の味わいと其美術心とを永久に保存し 日本人民をして決して之を忘れしむべからず」と,第一 に日本人の育んできた美意識や文化を大事にすべきこと を説いている。ワグネルは,東京大学理学部や東京職工 学校(東京工業大学)などの教師として我が国の工学教 育に貢献したほか,佐賀県有田町で窯業の技術指導を行 うなど,陶磁器やガラス産業の近代化にも尽力した。ま た 1873年のウィーン万国博覧会に際して出品物の指導 を依頼され,日本の伝統工芸品についても深い知見を持 っていた。それ故,日本の伝統工芸や職人技術の素晴ら しさを実感しており,前述の提言に繋がったのである。 大正時代に,再び伝統工芸および技術を残そうと尽力さ れた柳宗悦は,その素晴らしさを「民芸」と呼び,日本 独自のものとされたが,それは如何に生まれたものであ ろうか。 近代以前の江戸時代,幕府は基本的に諸藩の上に君臨 しつつも,過度な支配・干渉は行わなかった。世界的に 希有な平和が維持される中で,日本の各地域は,幕府に よって封ぜられた藩により自主的に統治されていた。諸 藩は,それぞれの地域を繁栄させるために,身分の上下 を問わず勤勉や勤労を勧め,江戸中期以降には藩校や寺 子屋が日本各地に作られ,文化,文政期(1804~1829) には農村や漁村にまで広がった。その結果,日本のこと わざにある「読み書き算用は世渡りの三芸」が庶民にと っても当たり前となり,身分の上下を問わず知識や技術 が共有されたのである。日本各地で地域の学問や文化, 産業の育成を競い合った結果,「民芸」と呼ぶ地域ごと に微妙に異なる文化や美意識が生まれ,その切磋琢磨の 中に創造と革新が途切れることなく行われ,世界的な評 価を受けた「伊万里焼」や「漆器(japan)」のような素 晴らしい工芸品も生まれたのである。特に日本の漆製品 は,英語で「japan」と呼ばれるほど,高い評価を得て いる。江戸時代を通じて蒔絵(まきえ)や螺鈿(らで ん)細工などの技法を用いた,優れた漆器が製作されヨ ーロッパへ輸出されたからである。ヨーロッパの人々 は,漆の独特の深みと光沢をもつ黒に憧れ,ピアノが他 の楽器と違い黒く塗られたのも漆器の影響だという。さ らに漆は,日本で接着剤としても積極的に利用されてき た。割れた陶磁器の接着には,「金継ぎ」と呼ぶ技法が 用いられる。割れた器を,独特の美意識で,価値を損な わずに再生する文化は日本独自のものであり,さらに漆 を接着剤に使えば「食器」としての機能も失われないの である。ワグネルがいうように,技術そのもの以外に, その根底にある「もったいない」や「わび」「さび」な どの自然との共生といった日本の文化や精神についても 学ぶべきものは多いと思う。