北海道新雪古安奴里山结冰观测站飞机的验证

K. Kikuchi, Kenzo Kanda, Toshiharu Yamazaki
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摘要

第二次世界大战末期的昭和18 ~ 20年冬季,北海道二世谷安努普利山顶的结冰观测所作为实验机使用的“零式舰载战斗机(通称零战)”的右主翼于1990年8月上旬在山顶东侧的沼泽发现。之后于2004年被回收,2005年12月22日开始在北海道俱知安町风土馆常设展示,引起了人们的热议。人们认为这是60年前的零战之翼,除此之外,还有所谓的“结冰观测所”。如今,连这些词语都不知道的世代增加了,除了对结冰观测所是怎样的观测所,做着怎样的实验,其结果如何的兴趣以外,在相关资料的展示,解说,当时的照片和新闻报道中也能看到因为没有的实验机大多是与零战不同的“九六式舰载战斗机(通称:九六式)”。为什么会变成这样呢?一直受到媒体和专家的关注,幸好“中谷宇吉郎雪之科学馆”收藏了当时北海道大学助手、直接负责该实验的黑岩大助(原北海道大学低温科学研究所所长)拍摄的照片。根据中谷宇吉郎门生之一的樋口敬二(名古屋大学名誉教授)的考察,得出了昭和18 ~ 19年冬天是九六式,19 ~ 20年冬天是零战的结论。在这份报告中,零战主翼的发现作为契机,在结冰观测站进行了怎样的实验?关于作为实验的主要目的的飞机结冰,整理了所使用的实验机的机种和与此相关的几个疑问。
本文章由计算机程序翻译,如有差异,请以英文原文为准。
Verification of airplanes of the Icing Observatory at Mt. Niseko-Annupuri, Hokkaido
第2次世界大戦末期の昭和18~20年の冬期に,北海道ニセコアンヌプリ山頂の着氷観測所で実験機として使用されたと思われる,「零式艦上戦闘機(通称:ゼロ戦)」の右主翼が1990年8月初旬山頂東側の沢で発見され,その後2004年に回収されて,2005年12月22日から北海道倶知安町の風土館に常設展示されて話題を集めている.それは,60年前のゼロ戦の翼という野次馬的な見方の他に,もはや着氷観測所などといった言葉さえ知らない世代が増えた昨今,そもそも着氷観測所はどんな観測所で,どんな実験をしていて,その結果はどうなったのであろうかという興味とは別に,関連する資料の展示,解説,当時の写真や新聞記事に見られる実験機が,ゼロ戦とは違う「九六式艦上戦闘機(通称:九六式)」のものが多かったからである.どうしてこのようなことになったのか?マスコミ関係や専門家の間で注目されてきたが,幸い「中谷宇吉郎雪の科学館」が所蔵している,当時北海道大学助手で,直接この実験の担当者だった黒岩大助(元北海道大学低温科学研究所長)が撮影していた写真のアルバムから,中谷宇吉郎門下生の一人だった樋口敬二(名古屋大学名誉教授)の考察によって,昭和18~19年の冬が九六式,19~20年の冬がゼロ戦であったという結論が得られた.この報告では,ゼロ戦主翼の発見を契機として着氷観測所ではどのような実験が行われたのか,その実験の主目的であった飛行機の着氷について,使用された実験機の機種とそれに関連するいくつかの疑問について整理したものである.
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