{"title":"渔村及港口设施的多功能化","authors":"Shigeki Maeda","doi":"10.2750/arp.39.29","DOIUrl":null,"url":null,"abstract":"若狭湾は,日本海岸では珍しく大規模なリアス式海岸 であり,その複雑な海底の地形から礁(ぐり)が出来て いる。暖流の対馬海流と,寒流のリマン海流がぶつかる 潮の流れが礁に良質なプランクトンを繁殖させ,そのプ ランクトンを餌に,魚介類が集まってくる豊かな漁場を 持つ。嶺南最西部に位置する高浜は,奈良・平安時代に は「木津郷(きづのごう)」と呼ばれ,平城京跡地から 発掘された木簡に,木津郷からの塩と海産物の天井への 献上品名目が記されていることから,その当時から漁が 行われ,奈良・京都と繋がっていた。福井県嶺南地域の 定置網の歴史は古く,元禄期(17 世紀)には,若狭湾 に現在の定置網の原型となる大網が導入されていた記録 が残されている。戦後には,サバの巾着船の豊漁により 漁業従事者も増え,1950 年の国道 27 号開通や日本の高 度経済成長により,漁場が港から近い利点を生かした, 鮮魚料理を提供する民宿が激増した。またサバの豊漁が 終わるにつれ,漁協の共同事業として高浜湾に大型定置 網が運営された。1980 年代には砂浜を埋め立てて,大 型の定置網漁に対応する現在の高浜漁港が整備された。 高浜漁協は,漁協の本所や競りの市場が立地し,現在 も和田定置網,高浜小定置網,若狭グジ(あまだい)は え縄,刺し網,たこ漁,ナマコ漁などにより,ハマチ, サゴシ,レンコダイ,サヨリ,キス,シイラ,スズキ, アオリイカ,マグロ,バショウカジキ,シロカジキ,カ レイ,セイゴ,ブリ,ソウダカツオ,カマス,ヒラマサ, ウマズラハギ,タコ,シャケ,マサバ,ゴマサバ,グレ, ナマコなど多種多様な魚が水揚げされる。しかし,1970 年代に関西電力高浜原発が造られ,原発関係の仕事に人 が流れると同時に,海流の変化により捕れる魚の種類や 量も変化する不安定さ,養殖技術の進歩により天然物の 魚単価の低調から,高浜の大型定置網も赤字採算になり, 漁業への若者の就業者が減少していった。現在は,高浜 地区で 30 代以下の漁師はわずか 2人で,ほとんどが 70 歳以上の漁師であり,後継者不足は深刻だ。 2012 年から町や漁業関係者でつくる水産業振興協議 会で協議を重ね,漁業生き残り策としてたどりついた のは,2021 年夏に開業予定の魚に特化した商業施設 「UMIKARA(うみから)」。漁港と隣接した立地条件を 存分に生かし,毎日水揚げした新鮮な魚介を,地元や来 訪客に提供する。魚介を使った惣菜や加工品も取り扱い, 日常の買い物から旅行の土産選びまで,幅広いニーズに 応える。地産池消の促進や,水産物の付加価値化を進め ることにより,地区内での地域産物の販売量の増加を目 標とする。 現状 2017 年度:189.3t(漁獲量全体の 30%) 将来 2021 年度:252.4t(漁獲量全体の 40%) 漁港の後背地には,江戸時代から続く漁村集落「塩土 (しおど)・事代(ことしろ)」区がある。加工場は,地域 商社である「株式会社うみから」が,塩土区に 2019 年に 改装した製造施設を活用している。屋外で新鮮な魚を漁 師から直接買えるイベントや,地元の方向けに魚介ラー メンやアンコウのから揚げを販売するなど,単に漁港施 設を建て替えるのではなく,市街地と一体化した,面と しての観光拠点を目指して着々と歩みを進めている。隣 には海水浴客の多い城山区,町側には陸路で敦賀から京 都府宮津までの交易を担っていた旧丹後街道の街並みが 残っていることから,魚や漁業文化を中心にした,伝統 と現代をつなぐ高浜町の地域振興を目標としている。","PeriodicalId":272722,"journal":{"name":"JOURNAL OF RURAL PLANNING ASSOCIATION","volume":"52 1","pages":"0"},"PeriodicalIF":0.0000,"publicationDate":"2020-06-30","publicationTypes":"Journal Article","fieldsOfStudy":null,"isOpenAccess":false,"openAccessPdf":"","citationCount":"0","resultStr":"{\"title\":\"Multi Functionalization of the Fishing Village and Port Facilities\",\"authors\":\"Shigeki Maeda\",\"doi\":\"10.2750/arp.39.29\",\"DOIUrl\":null,\"url\":null,\"abstract\":\"若狭湾は,日本海岸では珍しく大規模なリアス式海岸 であり,その複雑な海底の地形から礁(ぐり)が出来て いる。暖流の対馬海流と,寒流のリマン海流がぶつかる 潮の流れが礁に良質なプランクトンを繁殖させ,そのプ ランクトンを餌に,魚介類が集まってくる豊かな漁場を 持つ。嶺南最西部に位置する高浜は,奈良・平安時代に は「木津郷(きづのごう)」と呼ばれ,平城京跡地から 発掘された木簡に,木津郷からの塩と海産物の天井への 献上品名目が記されていることから,その当時から漁が 行われ,奈良・京都と繋がっていた。福井県嶺南地域の 定置網の歴史は古く,元禄期(17 世紀)には,若狭湾 に現在の定置網の原型となる大網が導入されていた記録 が残されている。戦後には,サバの巾着船の豊漁により 漁業従事者も増え,1950 年の国道 27 号開通や日本の高 度経済成長により,漁場が港から近い利点を生かした, 鮮魚料理を提供する民宿が激増した。またサバの豊漁が 終わるにつれ,漁協の共同事業として高浜湾に大型定置 網が運営された。1980 年代には砂浜を埋め立てて,大 型の定置網漁に対応する現在の高浜漁港が整備された。 高浜漁協は,漁協の本所や競りの市場が立地し,現在 も和田定置網,高浜小定置網,若狭グジ(あまだい)は え縄,刺し網,たこ漁,ナマコ漁などにより,ハマチ, サゴシ,レンコダイ,サヨリ,キス,シイラ,スズキ, アオリイカ,マグロ,バショウカジキ,シロカジキ,カ レイ,セイゴ,ブリ,ソウダカツオ,カマス,ヒラマサ, ウマズラハギ,タコ,シャケ,マサバ,ゴマサバ,グレ, ナマコなど多種多様な魚が水揚げされる。しかし,1970 年代に関西電力高浜原発が造られ,原発関係の仕事に人 が流れると同時に,海流の変化により捕れる魚の種類や 量も変化する不安定さ,養殖技術の進歩により天然物の 魚単価の低調から,高浜の大型定置網も赤字採算になり, 漁業への若者の就業者が減少していった。現在は,高浜 地区で 30 代以下の漁師はわずか 2人で,ほとんどが 70 歳以上の漁師であり,後継者不足は深刻だ。 2012 年から町や漁業関係者でつくる水産業振興協議 会で協議を重ね,漁業生き残り策としてたどりついた のは,2021 年夏に開業予定の魚に特化した商業施設 「UMIKARA(うみから)」。漁港と隣接した立地条件を 存分に生かし,毎日水揚げした新鮮な魚介を,地元や来 訪客に提供する。魚介を使った惣菜や加工品も取り扱い, 日常の買い物から旅行の土産選びまで,幅広いニーズに 応える。地産池消の促進や,水産物の付加価値化を進め ることにより,地区内での地域産物の販売量の増加を目 標とする。 現状 2017 年度:189.3t(漁獲量全体の 30%) 将来 2021 年度:252.4t(漁獲量全体の 40%) 漁港の後背地には,江戸時代から続く漁村集落「塩土 (しおど)・事代(ことしろ)」区がある。加工場は,地域 商社である「株式会社うみから」が,塩土区に 2019 年に 改装した製造施設を活用している。屋外で新鮮な魚を漁 師から直接買えるイベントや,地元の方向けに魚介ラー メンやアンコウのから揚げを販売するなど,単に漁港施 設を建て替えるのではなく,市街地と一体化した,面と しての観光拠点を目指して着々と歩みを進めている。隣 には海水浴客の多い城山区,町側には陸路で敦賀から京 都府宮津までの交易を担っていた旧丹後街道の街並みが 残っていることから,魚や漁業文化を中心にした,伝統 と現代をつなぐ高浜町の地域振興を目標としている。\",\"PeriodicalId\":272722,\"journal\":{\"name\":\"JOURNAL OF RURAL PLANNING ASSOCIATION\",\"volume\":\"52 1\",\"pages\":\"0\"},\"PeriodicalIF\":0.0000,\"publicationDate\":\"2020-06-30\",\"publicationTypes\":\"Journal Article\",\"fieldsOfStudy\":null,\"isOpenAccess\":false,\"openAccessPdf\":\"\",\"citationCount\":\"0\",\"resultStr\":null,\"platform\":\"Semanticscholar\",\"paperid\":null,\"PeriodicalName\":\"JOURNAL OF RURAL PLANNING ASSOCIATION\",\"FirstCategoryId\":\"1085\",\"ListUrlMain\":\"https://doi.org/10.2750/arp.39.29\",\"RegionNum\":0,\"RegionCategory\":null,\"ArticlePicture\":[],\"TitleCN\":null,\"AbstractTextCN\":null,\"PMCID\":null,\"EPubDate\":\"\",\"PubModel\":\"\",\"JCR\":\"\",\"JCRName\":\"\",\"Score\":null,\"Total\":0}","platform":"Semanticscholar","paperid":null,"PeriodicalName":"JOURNAL OF RURAL PLANNING ASSOCIATION","FirstCategoryId":"1085","ListUrlMain":"https://doi.org/10.2750/arp.39.29","RegionNum":0,"RegionCategory":null,"ArticlePicture":[],"TitleCN":null,"AbstractTextCN":null,"PMCID":null,"EPubDate":"","PubModel":"","JCR":"","JCRName":"","Score":null,"Total":0}
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Multi Functionalization of the Fishing Village and Port Facilities
若狭湾は,日本海岸では珍しく大規模なリアス式海岸 であり,その複雑な海底の地形から礁(ぐり)が出来て いる。暖流の対馬海流と,寒流のリマン海流がぶつかる 潮の流れが礁に良質なプランクトンを繁殖させ,そのプ ランクトンを餌に,魚介類が集まってくる豊かな漁場を 持つ。嶺南最西部に位置する高浜は,奈良・平安時代に は「木津郷(きづのごう)」と呼ばれ,平城京跡地から 発掘された木簡に,木津郷からの塩と海産物の天井への 献上品名目が記されていることから,その当時から漁が 行われ,奈良・京都と繋がっていた。福井県嶺南地域の 定置網の歴史は古く,元禄期(17 世紀)には,若狭湾 に現在の定置網の原型となる大網が導入されていた記録 が残されている。戦後には,サバの巾着船の豊漁により 漁業従事者も増え,1950 年の国道 27 号開通や日本の高 度経済成長により,漁場が港から近い利点を生かした, 鮮魚料理を提供する民宿が激増した。またサバの豊漁が 終わるにつれ,漁協の共同事業として高浜湾に大型定置 網が運営された。1980 年代には砂浜を埋め立てて,大 型の定置網漁に対応する現在の高浜漁港が整備された。 高浜漁協は,漁協の本所や競りの市場が立地し,現在 も和田定置網,高浜小定置網,若狭グジ(あまだい)は え縄,刺し網,たこ漁,ナマコ漁などにより,ハマチ, サゴシ,レンコダイ,サヨリ,キス,シイラ,スズキ, アオリイカ,マグロ,バショウカジキ,シロカジキ,カ レイ,セイゴ,ブリ,ソウダカツオ,カマス,ヒラマサ, ウマズラハギ,タコ,シャケ,マサバ,ゴマサバ,グレ, ナマコなど多種多様な魚が水揚げされる。しかし,1970 年代に関西電力高浜原発が造られ,原発関係の仕事に人 が流れると同時に,海流の変化により捕れる魚の種類や 量も変化する不安定さ,養殖技術の進歩により天然物の 魚単価の低調から,高浜の大型定置網も赤字採算になり, 漁業への若者の就業者が減少していった。現在は,高浜 地区で 30 代以下の漁師はわずか 2人で,ほとんどが 70 歳以上の漁師であり,後継者不足は深刻だ。 2012 年から町や漁業関係者でつくる水産業振興協議 会で協議を重ね,漁業生き残り策としてたどりついた のは,2021 年夏に開業予定の魚に特化した商業施設 「UMIKARA(うみから)」。漁港と隣接した立地条件を 存分に生かし,毎日水揚げした新鮮な魚介を,地元や来 訪客に提供する。魚介を使った惣菜や加工品も取り扱い, 日常の買い物から旅行の土産選びまで,幅広いニーズに 応える。地産池消の促進や,水産物の付加価値化を進め ることにより,地区内での地域産物の販売量の増加を目 標とする。 現状 2017 年度:189.3t(漁獲量全体の 30%) 将来 2021 年度:252.4t(漁獲量全体の 40%) 漁港の後背地には,江戸時代から続く漁村集落「塩土 (しおど)・事代(ことしろ)」区がある。加工場は,地域 商社である「株式会社うみから」が,塩土区に 2019 年に 改装した製造施設を活用している。屋外で新鮮な魚を漁 師から直接買えるイベントや,地元の方向けに魚介ラー メンやアンコウのから揚げを販売するなど,単に漁港施 設を建て替えるのではなく,市街地と一体化した,面と しての観光拠点を目指して着々と歩みを進めている。隣 には海水浴客の多い城山区,町側には陸路で敦賀から京 都府宮津までの交易を担っていた旧丹後街道の街並みが 残っていることから,魚や漁業文化を中心にした,伝統 と現代をつなぐ高浜町の地域振興を目標としている。