My Life as a Postdoc in Boston
Y. Okada
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Abstract
2. 1 渡米までの経緯 学生時代からずっと,海外に出て研究をしたいという 強い願望がありました。しかも,自分にとってまったく 新しい実験に挑戦したいと思っていました。その頃は, 博士論文のテーマであった銅酸化物高温超伝導体の研究 を通して,走査トンネル顕微鏡(STM)を用いた物性 研究に大きな魅力を感じていたので,博士号取得後直ち に海外留学をして STMを用いた研究を始めることが私 の中で当然の流れになっていました。 私は,博士課程の 3年目から 2年間,日本学術振興会 (JSPS)の特別研究員になることができました。さら に,博士後期課程を無事 3年で終えることができまし た。この流れが幸いし,博士号取得後の 1年間,JSPS から博士研究員としてお給料をいただきながら海外で新 しい挑戦をすることができました。この制度に感謝する ばかりです。 2. 2 渡米前の構想 私は,既に大きい研究室に行くよりも,若い先生が主 宰する発展途上の勢いがある研究室に行きたいと考えて いました。そこで,コンタクトを取ったのが MITの Eric Hudson 先生(当時,Associate Professor)です。2007 年~ 2009年にかけて Nature Physics誌に 4本の論文を出し, 意義のある成果を立て続けに出して勢いのある先生でし た。渡米前のやり取りで,先生はもうじきテニュア審査 (終身雇用になれるかの審査)を受けることを知りまし た。審査をパスすれば,研究資金も増え,研究の新展開 ができると教えてくれました。一方,審査をパスできなか った場合,ラボを閉めてMITを去らなくてはいけなくな るリスクも伝えられました。私にとって雲の上の存在で あった Nature Physics 誌への論文発表を連発している Hudson先生なら,天下の MITであろうが審査をパスす るであろうと推測していました。私の戦略は,JSPSから の支援で 1年間一生懸命働いて奉公し,その後はテニュ ア審査をパスして資金的にも余裕が出るであろう Hudson 先生に雇ってもらうというものでした。やる気に満ち溢 れ,博士号を取得後直ちにボストンに出陣しました。
我在波士顿的博士后生活
2.赴美经历从学生时代开始,我就有出国做研究的强烈愿望。而且,我想挑战对自己来说完全崭新的实验。那时,通过研究铜氧化物高温超导体这一博士论文的主题,我对采用扫描隧道显微镜(STM)进行的物性研究产生了极大的兴趣,因此在获得博士学位后,我立即出国留学。开始使用STM进行研究已经成为我的必然趋势。我在博士课程的第3年开始的2年间,成为了日本学术振兴会(JSPS)的特别研究员。另外,我顺利地用三年时间完成了博士后期课程。幸运的是,在获得博士学位后的一年里,我一边从JSPS拿到博士研究员的薪水,一边在海外进行新的挑战。我非常感谢这个制度。2.赴美前的构想我已经在考虑,比起去大的研究室,我更想去年轻的老师主宰的发展中有发展势头的研究室。于是,我联系了MIT的Eric Hudson老师(当时叫Associate Professor)。2007年~ 2009年在Nature Physics杂志上发表了4篇论文,连续取得了有意义的成果,是位很有气势的老师。在赴美前的交流中得知,先生马上就要接受终身雇佣审查了。他告诉我,如果通过审查,研究资金就会增加,研究就会有新的进展。另一方面,如果通过了审查,就有关闭实验室离开MIT的风险。对于我来说,Hudson老师经常在《自然物理》杂志上发表论文,我推测他一定能通过麻省理工学院的审查。我的战略是,在JSPS的支持下努力工作一年,然后让通过了特纽亚审查,资金上也有富余的Hudson老师雇用我。我充满了干劲,在取得博士学位后立即奔赴波士顿。
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