M. Ando
{"title":"Pediatric Cardiac Practice in Japan: How Does It Look Like from a Rural University Hospital?","authors":"M. Ando","doi":"10.9794/JSPCCS.36.269","DOIUrl":null,"url":null,"abstract":"コロナ禍の真っ只中である.本巻が世に出る頃にはどのような状態なのであろうか.この非常事態を金沢という 地方都市で迎えた.石川県は人口あたりの感染者数が東京に次いで 2番目に多い.感染が蔓延する少し前に県知事 が都市部からの観光を誘致するような発言をするなど,危機管理に問題を抱える地方自治体である.当然感染対策 も後手後手であり,指定機関である県立,私立病院の先生方の苦労を思うと心苦しいものがある. 私は一昨年まで所属した榊原記念病院より昨年金沢医科大学に赴任した.榊原は現在では小児科医が多く所属 し,働き方改革にも確実に対応していたが,こちらのマンパワーたるや散々たるものである.これは本学に限った ことではなく,北陸地方のどこの施設もそうであり,若手医師の地方離れに歯止めがかからず,残された年配の医 師を多く含んだ面々は青息吐息のところが多い. 私自身,手術が 2年ほど停止して当時小児循環器に携わっていた医師・パラメディカルがほぼ全員いなくなった 大学病院で手術の再稼働を行った.そうすると,外科医としてではなく,小児科医の仕事までカバーすることとな る.心臓カテーテル検査を含めた術前検査から手術,そして術後管理とすべて一人でこなした.手術は成人の外科 医に助手となってもらい,時には卒後 1年目の内科研修医と二人で手術もした.電子カルテからのこまごまとし たオーダーを出すのには流石に閉口したが,榊原では手術に特化して職人化していた頃と比べ,一人の医者に戻っ たようで妙に楽しかった.50歳を過ぎて小さな命を診断から治療まですべてこなすという特殊な体験をしてみる と,自分がまだまだ知らない,あるいは気づいていないことが沢山あるということがわかった.思えば術後管理も 若手医師に任せて帰っていた.朝患者を診察すると状態があまり良くないこともしばしば,でも仕方ないと思って いた.しかし,自分で毎日病院に泊まって細かいケアをしていると患者は夜間でも驚くほど状態が上向きになるも のである.今まで若手の指導を怠けていたことを改めて反省した. こんな風にがむしゃらにやっていると周囲も少しずつ協力してくれるようになる.今では小児科が年間 50例以 上のペースでカテーテルをこなしてくれるようになった.手術も TGA, HLHSとなんでもくるようにもなった.今 から思えば無謀な挑戦であったが,がむしゃらにやっていると何とかなるものである. これはでき上がった施設では決して経験できないものだと思う.ベテランの外科医の先生方も,たまにはカテー テルでもしてみたらいろいろなことが見えてくるので是非お勧めしたい.","PeriodicalId":89701,"journal":{"name":"Nihon Shoni Junkanki Gakkai zasshi = Pediatric cardiology and cardiac surgery","volume":"1 1","pages":""},"PeriodicalIF":0.0000,"publicationDate":"2020-12-01","publicationTypes":"Journal Article","fieldsOfStudy":null,"isOpenAccess":false,"openAccessPdf":"","citationCount":"0","resultStr":null,"platform":"Semanticscholar","paperid":null,"PeriodicalName":"Nihon Shoni Junkanki Gakkai zasshi = Pediatric cardiology and cardiac surgery","FirstCategoryId":"1085","ListUrlMain":"https://doi.org/10.9794/JSPCCS.36.269","RegionNum":0,"RegionCategory":null,"ArticlePicture":[],"TitleCN":null,"AbstractTextCN":null,"PMCID":null,"EPubDate":"","PubModel":"","JCR":"","JCRName":"","Score":null,"Total":0}
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日本的儿科心脏实践:从农村大学医院看是什么样子的?
当时正处于科罗纳之祸中。本卷面世时是怎样的状态呢?在金泽这个地方都市迎来了这一非常事态。石川县每一人口的感染人数仅次于东京,是第二多的地方自治体。在感染蔓延的不久之前,县知事曾发表过吸引城市旅游的言论,在危机管理上存在问题。当然,对感染的对策也是束手无策,一想到作为指定机构的县立、私立医院的医生们的辛苦,心里就难受。去年,我从前年所属的榊原纪念医院调到金泽医科大学赴任。榊原现在所属的多是小儿科医生,对工作方式的改革也确实对应着,不过这边的人力太大了,太散漫了。这仅限于本校。并非如此,北陆地区的任何设施都是如此,年轻医生远离地方的现象不可阻挡,包括许多被留下来的年长医生在内的人们大多感到叹息。我自己的手术停止了两年左右,当时从事小儿循环器官的医生和临床医生几乎全部消失了大学医院重新启动了手术,这样一来,不再是外科医生的工作,而是涵盖了儿科医生的工作。包括心脏导管检查在内,从术前检查到手术,以及术后管理,全部由我一个人完成。手术请成人外科医生做助手,有时还和毕业一年的内科实习医生一起做。面对电子病历的琐碎订单,榊原有些吃不下去,与专攻手术的工匠化时期相比,榊原又回到了一名医生的岗位上。过了50岁,经历了对小生命从诊断到治疗的特殊体验,明白了自己还有很多不知道,或者没有注意到的事情。回想起来,术后管理也交给年轻医生就回去了。早上看病人,有时情况不太好,但也没办法。但是,自己每天住在医院进行细致的护理后,患者即使在夜间状态也会惊人地好转。我重新反省了自己之前在指导年轻人方面的懈怠,像这样不顾一切地去做,周围的人也会逐渐给予帮助。现在小儿科每年都有50例以上的导尿管。手术也是TGA,HLHS什么的都来了,现在回想起来,虽然是鲁莽的挑战,但只要不顾一切地去做,总会有办法的。我想这在已建成的设施中是绝对体验不到的。即使是经验丰富的外科医生,偶尔也试着做一下外科手术的话,一定会发现很多东西。
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