Zur Entwicklung der Sprachtheorie Karl Buhlers nach der Emigration in den U.S.A.

Yasunari Ueda
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Abstract

筆者は「オーストリア哲学のための研究所と資料センター」(オーストリア・グラーツ市)に保管されているカール・ビューラー遺稿整理を、日本学術振興会(2001年)、オーストリア研究学術省(2002年)、ドイツ連邦共和国フンボルト財団(2003年)の支援を得て、各年それぞれ2ヶ月間3年にわたって行った。その内容と部分的成果について述べたものである。 遺稿整理の内容とその成果に基づいて、カール・ビューラーが、言語理論に関してアメリカ亡命(1938)以後、どのような思考を展開したかを彼の遺稿によって追認することが研究上の目的の一つであった。最終的には、現時点においても有意味と判断される内容の原稿をまとめて、遺稿集を出版することが目標である。 言語理論に関して言うならば、まず『言語理論』(1934)における公理(C)の具体的な展開として言語芸術作品、言語の詩的機能について考察を展開している。次に、イメージ破壊を唱えるオルテガに対する批判を展開する中で、メタファーの認識的機能について、現在の認知意味論につながる考察を展開している。第3番目の主題として、当時めざましい展開を遂げていた一般意味論の潮流を見据え、ビューラーは『言語理論』(1934)を起点に、実用意味論の名のもと、医学、気象、法廷という3つの分野を取りあげ、意味論が日常生活においてどのように有用であるかを論じている。 ビューラーは1950年代に生物学、とりわけ生物の体内時計、方向定位に関する論文を発表しているが、言語理論を中心とする言語一般に関するビューラーの学問的関心も決して衰えることはなかった、というのが、彼の遺稿を文献学的に整理して得た結論である。ビューラーの全業績に関する俯瞰と考察を含め、現時点においても有意味と判断される遺稿部分を含む報告の出版は、将来の課題として残されている。
在美国移民之后
笔者将保管在“奥地利哲学研究所和资料中心”(奥地利格拉茨市)的卡尔·布勒遗稿整理给日本学术振兴会(2001年)、奥地利研究学术部(2002年)。该活动得到了茨联邦共和国洪堡基金会(2003年)的支持,每年进行2个月,历时3年。阐述了其内容和部分成果。根据整理遗稿的内容及其成果,通过卡尔·布勒的遗稿追索在语言理论方面,流亡美国(1938年)以后展开了怎样的思考,这是研究的目的之一。最终的目标是,将现在仍被认为有意义的内容的原稿整理出来,出版遗稿集。就语言理论而言,首先作为《语言理论》(1934)中公理(C)的具体展开,对语言艺术作品、语言的诗性功能展开了考察。其次,在对提倡破坏形象的奥特加展开批判的同时,对隐喻的认识功能展开了与现在的认知语义论相联系的考察。布勒以《语言理论》(1934年)为起点,以实用语义论的名义提出了医学、气象、法庭等3个领域。论述了在日常生活中如何有用。布勒在20世纪50年代发表了关于生物学,特别是生物的生理时钟和方向定位的论文。他说,布勒对以语言理论为中心的一般语言的学术研究也丝毫没有减弱。这是从文献学角度对遗稿进行整理后得出的结论。包含了对布勒全部业绩的俯瞰和考察,现在也被判断为有意义的遗稿部分的报告的出版,作为将来的课题留下了。
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